福井県小浜市から京都まで約72km。この道には、美味しいサバだけでなく、日本の歴史を揺るがす「あるもの」も運ばれていました。
1. スタート地点:福井県小浜市は「国際的な玄関口」
鯖街道の起点である小浜(おばま)。ここはかつて、ただの漁港以上の役割を持っていました。
なぜ小浜が起点になったのか?
小浜の町には、道幅が急に広くなっている場所があります。そこにはかつて「市場」がありました。
- 川港(かわみなと)の存在: 海の沿岸は砂浜で大型船が近づけませんが、川は水深があるため大型船が入港できました。
- 国際交流: 1408年には、なんと東南アジアから「ゾウ」が日本で初めて上陸しました。このゾウも鯖街道を通って京都の将軍家へ運ばれたと言われています。
小浜は、京都への日本海側の玄関口として、サバ、グジ(アマダイ)、カレイなど豊富な海産物だけでなく、海外の珍しい文物も受け入れる重要拠点だったのです。

2. 物流の拠点:宿場町「熊川宿」
小浜から約15km進んだところにあるのが、鯖街道最大の宿場町「熊川宿(くまがわじゅく)」です。
鯖街道は「総合物流ルート」
ここにある「倉見屋」という建物は、運送業(人馬継立)を営んでいました。残された帳簿(駄持定帳)を見ると、サバ以外にも様々なものが運ばれていたことがわかります。
- 北海道・東北・北陸の産物: 「能登いわし」「津軽たばこ」「山形の紅花」など。
これらは日本海側の各地から船で小浜に集められ、そこから陸路で京都へ運ばれました。鯖街道は日本海側と京都を結ぶ物流の大動脈だったのです。

3. 地形の謎:なぜ鯖街道は「直角」に曲がるのか?
地図を見ると、鯖街道は熊川宿を通って東へ進んだ後、滋賀県に入ると「直角」に曲がって南下し、京都へ向かいます。 実はこのルート、人間が作ったのではなく、「断層」が作った自然の道を利用したものでした。
2つの断層が生んだ奇跡のルート
山越えは大変ですが、断層によってできた「谷」を使えば、平坦で真っ直ぐな道が確保できます。
- 熊川断層(東西): 横ずれ断層によってできた真っ直ぐな谷。
- 花折断層(南北): 京都へ向かって真っ直ぐ伸びる谷。
日本列島には東西から圧縮する力が働いています。この力によって、地盤がずれて「共役断層(きょうやくだんそう)」と呼ばれるセットの断層が生まれました。 この2つの断層が直角に交わることで、小浜から京都まで、起伏が少なく、大量の荷物をスピーディーに運べるL字型のルートが完成したのです。

4. 歴史の舞台:逃げる将軍と織田信長
鯖街道の中間地点、滋賀県の「朽木(くつき)」は、歴史上の重要人物を守る場所でもありました。
鯖街道が運んだ「将軍」と「信長」
- 室町将軍の避難所: 12代将軍・足利義晴や13代・義輝は、京都での戦乱を避け、朽木に逃げ込みました(朽木幕府とも呼ばれる)。
- 理由: 京都から近く、いざとなればすぐに日本海側へ逃げられるため。
- 織田信長の撤退戦: 1570年「金ヶ崎の戦い」。浅井長政の裏切りにあった信長は、この鯖街道を使って京都へ決死の脱出を行いました。地元の朽木氏が彼らを護衛しました。
鯖街道は、物流だけでなく、「京都からの緊急脱出ルート」としての軍事的な役割も果たしていたのです。

5. ゴール:京都の食文化「鯖寿司」
小浜を出発してわずか1日(約72km)で京都に到着します。 この「スピード」こそが、京都名物「鯖寿司」を生みました。
「若狭一汐(わかさひとしお)」の秘密
通常、冷蔵庫のない時代に魚を運ぶには大量の塩が必要ですが、鯖街道は1日で着くため、ほんの少しの塩(一汐)を振るだけで済みました。
- 小浜で軽く塩を振る。
- 京都に着く頃には、ちょうど良い塩加減に馴染んでいる。
断層が生んだ「早くて平坦な道」があったからこそ、ガチガチの塩漬けではない、美味しい鯖寿司の文化が京都で花開いたのです。

まとめ:鯖街道のすごさ
鯖街道は単なる古道ではありません。
- 地球の力(断層)が、運びやすい平坦な道を作った。
- その道が、日本海側の物流を一手に引き受けた。
- その道が、将軍や信長の命を救った。
- その道が、「京の食文化」を決定づけた。
次に鯖寿司を食べる時は、この72kmの道のりと、大地のメカニズムに思いを馳せてみてはいかが(いかが)でしょうか?

