理事長
森 洋 (もり ひろし)
滋賀県大津市在住(65歳)
- 1959年6月 大阪府高槻市で誕生
- 1980年4月 京都産業大学入学
- 1985年4月 京都産業大学奉職(大学職員)
- 1997年10月 フルブライトIEA奨学金にて米国各種大学、高等教育機関視察調査
- 1999年4月 同志社大学大学院総合政策科学研究科公共政策専攻入学(修士号取得)
- 2022年3月 京都産業大学早期退職(38年間勤続、定年2年前の63歳で退職)
- 2022年4月 滋賀県大津市葛川と京都市との二拠点生活を開始
- 同志社大学大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション専攻入学
- 2023年3月 住民票を京都府京都市から滋賀県大津市へ移転
- 2024年3月 NPO法人葛川共創ネットワーク設立(設立趣旨は下に記載)
- 関係人口創出 教育・体験プログラム等(気づきと学びのプログラム)開始
- 「信頼関係人口」との共創による持続可能なまちづくりを山荘コモンズで実践中(「夢をかたちにプロジェクト」「変わるなら生きてる内に」)
- 2024年7月 葛川祭りにて葛川伊勢節を歌い高張提灯を奉納
なぜ葛川か
両親の死後、大阪高槻市の実家を弟と相談して片づけた。最初は長男の責任を果たしたような気になり、スッキリしたが、時間が経つにつれ、「帰るふるさと」がないという心にポッカリ穴が開いた状態となった。実家があったふるさとの様子に似た、自分が理想とするふるさとを探し、適度な湿度があり、緑が濃く、歴史や文化が存在するコミュニティがある葛川地域と出会い、移住。この「新しいふるさと」を残りの人生をかけて守りたいと思った。人の地域の役に立ちたいと思い、ここを人生の最後の自分の居場所とすると決めた。
私が感じる葛川の特徴・魅力
「都会から近すぎず、遠からず」「豊かな人の営みと歴史・文化」
全長72キロの鯖街道のほぼ中央に位置する12キロの地域。そこに残る美しい古民家群の景観。世界農業遺産「琵琶湖システム」を支える安曇川(注ぐ水量は最大)に沿って点在する9つの限界集落群、1200年前から林業が主な産業が衰退、筏流しで木材を搬出し、各淵にはシコブチ神社が点在し、シコブチ神社ネットワークがあった。(このネットワークを再生し、持続可能な地域を作りたい。)日本で最初の重要文化財「明王院」の奇祭「太鼓回し」を1100年以前から地元住民で取り仕切り現在に至る。来訪者は年間約2万人、キャンプ場、登山、釣りなど。京都から車で1時間以内の「都市近郊型限界集落」。1905年以来人口減少であったが、葛川まちづくり協議会の取り組みにより2022年4月初めて下げ止まり(220名)、2024年4月人口増加(240名)に初めて転じた。
NPO法人葛川共創ネットワーク設立趣旨抜粋
葛川地域及び周辺地域の課題の解決を図るため、当該地域の個人・団体・行政等と繋がり、共創と互酬により、持続可能な地域づくりを通じて、生きることの豊かさを実現することを目的とする。
実践事例と特徴
- 2022年 シニアになってから限界集落に移住。社会に貢献したいという気持ちからまちづくりに挑戦。各種地元ボランティア。やみくもにやるより、効果的な取り組みを学びに63歳で大学院生となる。
- 2022年関係人口創出イベントスリランカ舞踊のイベント「舞と灯」開催(参加者約200名)、
- 2024年3月 NPO法人設立、
- 2024年5月NPOで最初のイベント 田植え体験プログラムを開催、その他、NPO法人の取り組みを実践中
(作成2024年7月)
副理事長
庄司 知広(しょうじ ともひろ)
滋賀県高島市出身・在住(27歳)
会社員
幼いころから田んぼや安曇川、琵琶湖が身近なところで過ごし、環境や生態系に興味を持ちました。
大学院では、琵琶湖の固有種であるセタシジミの生息環境の研究をしていました。就職は環境保全に携われることを軸に水処理総合プラントメーカーに就職。東京で過ごしていましたが、滋賀や琵琶湖と関わりたいこともあり、滋賀県主催の大津市葛川で行われた関係人口創出イベント「Connect−Shiga 2021-2022」に参加。そこで理事長の森さん、副理事長の佐々原さんと出会い、葛川での任意団体を結成し、2024年3月に当NPOを設立しました。今年4月に関西転勤となり、滋賀へ帰ってきました。
葛川や安曇川流域、琵琶湖を含めた幅広いフィールドを使用して、農林水産業の体験(環境配慮型稲作、農業、自伐型林業など)、環境(森林、里山、河川、琵琶湖)学習や教育、琵琶湖源流である地域資源(森林や河川)を整備し生物多様性の保全を目指した活動を行っていきます。